1 地方創生と〈新しいラグジュアリー〉
ローカル地域と民主化、そして「高潔な人」
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中野
日経の連載やForbes, JBpressなどのウェブサイトで、雪国観光圏とか北海道のニセコとか名古屋の有松とか、各地に取材に行って記事を書いていたことが目に留まるきっかけではあったようなのですが。みなさんがあの本を読み込んでくださっていて、こういう内容は僕たちがやってることと本当にぴったりなんですよっていうふうに仰ってくださって。地方創生に関心がある方には、ど真ん中にはまる本であるようです。
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阿部
おっしゃる通りだと思います。ニセコに関しては、中野さんと安西さんが指摘されていた「民主化」、つまり上下関係ではなく公平な機会のもとで新しい価値を創造している、という印象があります。地方地域で何らかの開発を進めるとなると、何らかの意見や利害の対立が出てきます。で、その調整局面において地方は概ね、国や政府からの介入、調整を待つか、あるいは市場原理、たとえば新陳代謝を伴う意見収束のどちらかに身を任せてきました。その結果、時間ばかりが過ぎてきたわけです。
「(最終消費財における)イノベーションとは『大衆化』の実現である」とみなされる領域で、本書はあらためて「民主化」を定義する。先端的技術からその普及へといった、常に上位下位の存在を前提とし主に単方向的受動の構図を描く大衆化の一方で、上下構造のない自由な発意による能動的、あるいはインタラクティブな創造性の存在を民主化に見る。また本書は「大衆化」と「民主化」の相違点として、プロセスの行き詰まりにおける自律的〈再起動〉メカニズムの有無を挙げている。
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阿部
一方たとえばニセコはウズベキスタンのリゾート開発のモデルケースになっています。視察を通しその内容を反映させることで、結果的に彼らは仏資本からの投資を獲得しています。ニセコも海外から投資を獲得した。ウズベキスタンも海外から投資を獲得した、と。で、もちろんお金を集めてくる方法を言いたいわけではなくて、やはり民主化、「新しい価値を創造する」というプロセスそのものが「民主化」にはある。中野さんが記事で指摘された点は、すごく重要なんです。
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中野
私はニセコに滞在して関係者にお話を聞いたのは3日間だけなので、裏の部分なんか本当に見えてないと思うんですね。ですが、その3日間で感知できたこともずいぶんありました。たとえば、町役場などの「長」がつかない職員の方々も、もう饒舌に話すんですよ、その場に上司がいても遠慮なしに。(笑) とにかくみんな議論に参加するんですよ。実際に民主主義が徹底されていて、その結果、建物の高さと景観が守られているというのはよくわかったんです。町の条例に書かれているんですね、すべて住民と業者の話し合いで決めてくださいって。条例には、建物15m以上は禁止するみたいなこと、数値は何も書いていないのです。その代わりに「話し合いで決めろ」と。まあ15mって決めると14.99mの建物ばっかりになるんですよねって言われて。そういうことかって。確かに数値が書かれていると、それをやってもいいという「権利」として読んじゃうと思う。
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阿部
なるほど。その一方、一般通念的にニセコのイメージからは多文化共生ビジョンが浮かんできますね。事前に域内のキャパシティを定めて独自のマスタープランを策定するというモデルが非常に上手くいったケースで。つまり異文化理解の深度的なものがそのベースにあるのかな、という印象もあります。関係される方々や、内閣府の方々が見ておられるのは、そのあたり含めてのものかな、と想像したりするんですが。
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中野
今の地方創生は各地でそれぞれに進んでいるけれど、それは国主導じゃなくて、その地方にいる突出した資本家とか、エネルギーのある人が各地で全然違うことをやっていて、一貫したルールみたいものはない、と内閣府の方もおっしゃっていて。確かに、一般法則は本当にないんですね。(笑)
本書中で、〈ラグジュアリー〉はファッション領域だけではなくライフスタイルやそれと関わる社会の仕組み全般に及ぶ、機能や目的ではなく、それぞれの「文化」を背景とした創造性で新しい時代の誕生を先導する役割がある、と中野氏は指摘する。つまりここで語られる〈ラグジュアリー〉とは単に高級、高価な商品群やサービスを指す言葉ではない。肥大化し特権者意識を利用する「ブランドビジネス」を指す言葉でもない。氏の言葉を借りれば「人間の尊厳や内発的な感情が大切にされた結果として生まれる、驚きある創造性」が起点となるものである。
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中野
でも共通していることはあります。ものすごくユニークで強く忘れがたい個性の人がリーダーシップをとっているということです。これがやはり人間主義的っていうことなのかなとも思いましたが。ニセコなら片山町長という方がいらっしゃって、雪国観光圏も井口さんというリーダーがいらっしゃって。有松にはSUZUSANのデザイナーの村瀬弘行さんという方がいらっしゃって。この方も強い個性の持ち主で、他の人が真似できる法則を抽出できないんですよ。村瀬さんは有松絞の五代目かな。親から有松絞はもうあと15年で廃れるからやらなくていい、って言われていてイギリスとドイツに留学に行くんです。すると、ドイツのデュッセルドルフの同室の人がこの美しいものは何だと有松絞りを見て言ったと。そこで村瀬さんは、これまで見慣れていたものが異文化からみたらこんなに美しいと思われるんだと知って、デュッセルドルフで起業をして成功されたわけなんですけれども。
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中野
その成功のロジックとしては、マルセル・デュシャンがトイレを美術館に持ってきてアートにしたように、有松絞を名古屋からドイツに持ってきたらアートになったという、つまりコンテクストを変えるっていうことなのですね。コンテクストを変えることによって有松絞を復活させたんですけども、実は、その後がポイントなんですよね。美しい有松絞がそこにあっても誰も向こうから取りに来てくれないわけですよ。そこで、一軒一軒セレクトショップにアポなしで飛び込んで営業に廻るのです。でも一見さんだからお断りされますよね。この色が合わない、とか。じゃあ、って持って帰って、色を改めてこれでいかがですかって。今度は価格が、って断られる。そこでさらに価格を工夫して再々訪する。普通そこでめげるじゃないですか。村瀬弘行さんって人はめげないで、三回でも四回でも行くんですよ。(笑)
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中野
その結果、店のオーナーが、しょうがないなこいつ、じゃ一回だけ置いてやるよっていうことで一つ置いてもらう。そうすると売れてってまた繰り返すっていう。そうやって営業してるんですね。その結果が最終的にディオールにつながり、日本人ってやっぱり海外ブランドに使われたっていうのが好きですから日本でも評価が上がっていく。そして良い循環が繰り出される。さらに村瀬さんの面白いのは、半年前に受注会をやってそこでお金を取るんですね。普通は商品と交換なんですけども、それをやらないで受注会で予約を取った時点でもう製品のお金をもらってしまう。そうじゃないと僕たちのビジネスが健康に回らないからって。(笑) でも、ドイツではそんなビジネスはできなくて日本人だけ払ってくれるんですって。日本ではクラウドファンディングのシステムでこれを応援しようっていうような考え方が行き渡っていているからできるのかな、と分析していらっしゃいましたが。
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阿部
周りに理解させる能力に秀でた方なんでしょうね。
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中野
そう。だからこのケースも突出していて、他の地域にも応用できるように理論化するっていうのが難しい。有松は有松のストーリーとして書かないと。そこに村瀬弘行っていうなんか突出した人がいるっていう、それ込みで書かないと、有松の地方創生は語りづらくなります。
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阿部
日本のさまざまなローカルシーンがあるなかで、併せてそこを際立たせるようなキーパーソンの存在がひとつの鍵というか、時代の展望を開いている。そういった観点で見ていらっしゃる。
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中野
本当は何かロールモデルがあって、方法論が見つかれば最高なんですけれども、少なくともローカリティって、それぞれの違いに意味があるじゃないですか。ですので、そこに方法論を持っていくことが、そもそも矛盾しているのかなとも思います。
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阿部
村瀬さんが、何らかの業界の期待を背負って単身ドイツに乗り込んでいたっていう、いわゆるありがちなストーリーではないですよね。こういう展開ができるはずだっていう明確なビジョンは無かった。
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中野
そう。そもそも無かった。偶然、友達がこれはすごいって言ってくれたから気づいた、という感じです。偶然っていっても、ドイツ人の友達と一緒にドイツで住むという彼の性格とかね、何か色々なことが作用してるんですよ。そういう彼の性格なんかも、昔ながらの街並みが保たれた有松が形成しているんですよ。小さいころから近所に家族のように出入りしておやつをもらったりしてきたっていう育ち方をしてるんですね。だから人を信頼できるんですよ。
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阿部
ああ、なるほど。
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中野
私が最初にSUZUSANの展示会に行った時も、村瀬さんは初対面の私にお使いを頼むんですよ。私も、しょうがないなあこいつゥ……とか思いながらお使い頼まれてあげたんですけど。(笑) それで逆に信頼が生まれて、彼のトークショー聞きに名古屋まで行ったりもしてますけども、それ方法論じゃ言えないじゃないですか。
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阿部
そうですね。(笑)
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中野
人をとにかく信頼するんですよね。だから見知らぬ土地で営業に行った時に、断られても何度も行くっていうことは、多分、本気で信頼してるんですよね、相手の言葉を。絶対に僕のことを無下に扱うわけはないという妙な信頼があるんですよ。人には、無邪気に信頼されるとつい応えてしまうという悪しき習性がありますから、村瀬さんのペースに引っ張られてしまう。(笑)
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中野
そういうパーソナリティの人だからこそ成功できたっていうのも実はあって。だからほかの寂れつつある伝統工芸を何とかしようと思って、同じように異文化に認められるかというと、価値は認められるかもしれないですけど、そこで売れるかというとやっぱり営業力とかPR力っていうのが問われます。するとやはり最後は人間力みたいなものが問われるんです。異文化を理解してればいい、じゃなくて、そこを突破する内発的なものとか、その人のオリジンから出てくる自信であったりとか、本当に人間力ですよね。だから単に異文化理解してるからこういうふうにやれば大丈夫だみたいな、なんか異文化コミュニケーションみたいなものをマスターすればいいかというとそうでもないっていうところはあるんですよ。
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阿部
いろいろ国境またいでいくと、まあ僕もそうですけど、どうしても既成のコンテクストに頼りたくなってしまう。
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中野
そのコンテクストを自分で創ることが大事なんですよ。新しいラグジュアリーにおいて大事なのは、自分が輝けるコンテクストを創るってことが大事になってきます。コンテクストを創る、自分中心に創る。それはエゴじゃなくて、自分と、自分の製品が輝けるためのコンテクストを創造できるイマジネーションを鍛えること。そこが人文学的でもありますね。
ここで指摘されるコンテクストの創造とは、〈私〉という一人称から始まる、自分自身が何かを行う理由、あるいは自分自身の人生における深い意味を伴う「意味のイノベーション」の適用範囲となる。したがって一般的マーケティング理論とは性質が全く異なる。
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阿部
なるほど。突出したパーソナリティ、パーソナリティから広がっていく世界観、あるいはその術を持つことでしょうか。
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中野
そうですね、だから方法論とか戦略とかは大切かもしれないですが、それを優先する限り、窮屈さからなかなか出られないのではないかなという気がします
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阿部
まさに本書中で中野さんが述べられたように、箇条書きされた戦略でも、チャート化された思考でもない、という部分ですね。
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中野
箇条書き的思考、戦略みたいなことは知っていても、それをなぞるようにやってはいけないなという。
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阿部
パーソナリティ、強い存在っていうのかな、要求されているのかもしれないですね、時代的に。
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中野
そうですね。富山の岩瀬も、ものすごく開発が進んでいるところなんですけれども、枡田酒造の枡田さんっていう方が突出したパーソナリティの方で。資本家でいらっしゃるんですけど、古民家を一軒一軒買って改修してレストランや工房を創ったり。無電柱化も実現しました。で、世界中からアーティスト呼んじゃって。そこだけすごいアーティスト地域になって、どんどん開発されていくんですけど、それも枡田さんのようなやはり街全体の幸せを考えるっていう突出した資本家、これ俺がやらないと誰もやらないからっていう絶対的な自信でグイグイ進めていくっていう人。この人もやっぱりそうですね。資本力っていう意味では、同じような方はたくさんいらっしゃるかもしれないですけれども、ちょっと周りから疎まれても、軽やかに前進していくっていうそのパーソナリティと、それに応じて周りのコンテクストが作られていくっていう、その有機的な感じ。それはやはり枡田さんがいて、富山という地域があってという、その独自性でしかありえないんですよね。
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阿部
お話を伺う限りでは、枡田さんも村瀬さんも、本書中で中野さんが言及されていた「高潔な人」ですよね。つまり「自身で尊厳を守る強さを持つ、創造性の源泉を獲得した幸福な個人」そのものであると感じます。では逆にどうでしょう、イギリス文化のなかで、あるいはイギリス文化が発展していくなかで、今のお話と重なるケースはありますか?
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中野
コンテクストを自分中心に作ってラグジュアリーの創造に成功した例はありますよ。イギリスの元祖旧型って、王族貴族のギンギラギンな豪奢ですよね。富を誇示する宝石や派手な服といった分かりやすいものを古臭い、と断罪して出てきたのが、ダンディズムです。元祖ダンディであるブランメルが主導したダンディズムって、当時における新型ラグジュアリーだったんですよ。貴族としてはかなり平民に近い地位にいたブランメルが、貴族の分かりやすい富とか豪奢を古臭いものにしてしまい、職人の技巧のなかにセンスや教養を読み取れる力があるかどうかとか、質素なもののなかに味わいを感じられるか力があるか、というテイストを「上」にもってきてしまった。自分が優位に立つための価値の転換を行って、新しいラグジュアリーっていうものを作った、それが19世紀ダンディズムだったのですよ。その結果として、王室御用達よりブランメル様御用達の方がいいっていうふうになった。だから彼もやっぱりコンテクストを作った人ですよね。
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中野
ブランメルの他に誰かそれができたかというと多分、できなかった。ブランメルっていう人も旧型の世界だったら、地位は本当に下のほうで、影響力はまったく持てない人だったんですよ。旧型論理のなかにいると階級社会における身分は下だし、金融資本もそんなにない人なので、どうあがいても影響力は発揮できないんです。でも自分の強みに合わせたコンテクストを作っていって、それを自分が実践することで結局、社交界のトップとして、国王よりも力を持つ人として君臨しました。オリジナルに徹することによって新型のラグジュアリーを作ったという意味で、ブランメルはその元祖的な存在でしょうか。