1 文化創造の技法-マンズィーニとベルガンティ
実践的思考の相互反復、コンテクストの集積とその共有
上に掲げる図がエツィオ・マンズィーニ氏の「Design mode map」である。上側は「Expert design」、つまりデザインプロフェッショナルの領域、下側は「Diffuse design(普及型)」、つまり民間の草の根団体、あるいは一般人である。マンズィーニ氏は、デザイン能力をプロフェッショナル・アビリティとしてだけではなく、ケイパビリティ(人間の資質として誰もが有している能力)としても評価する。この点が「Design, When Everybody Designs」という書籍のタイトルにつながっている。
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阿部
で、例えばいま道内の中心都市で力をいれているのはこのマップの中では第二象限(テクノロジースタートアップ)ですよね。ここで新しい価値を創造するんだと言っている。しかし一般論として、テクノロジーというものは、基本的には同じもの、同一規格のものをより多くの人たちに同時に届けていくことができる、というところにその特性、優位性があると思うんですよ。そういうものは、「Problem solving」、つまりその問題解決も含めて、適性は本質的にインフラ方向なんじゃないのかなっていう印象があるんですね。で、そうするとそこで開けていく視界っていうものの先に何が見えてくるのかっていうことを本来は問題関心にしなきゃいけないんだけれども、それがなかなか見えてこなかった、あるいはそもそも繋がっていないっていうのがいまの現状なのかなと。僕はそういう理解なんですけど、この辺りどうでしょう?
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安西
あのね、以前ある企業の社内講演やったんだけど、意味のイノベーションについて話をした時に、やっぱり問題解決はその会社得意で、右側のセンスメイキングの方について弱いっていうのは、やっぱり言える。というのは、問題解決は短期的な利益を産みやすいじゃないですか。
ロベルト・ベルガンティ氏により提唱される「意味のイノベーション」は、〈人間はニーズではなく、ビジョンや意味によって突き動かされる。人々は人生に目的を持っている〉ことを起点とする。従来のユーザー中心のイノベーションが「何らかの問題を解決する」ものであるとすると、意味のイノベーションは人間の生活における深い意味、人間社会の豊かさを生み出していくものといえ、図(Design mode map)では右象限のセンスメイキングにあたる。問題解決を基軸として見るならば、左象限の「どうやって」は右象限では「なぜ」に変化する。同様に答え(ニーズ)は発見(提案)に、ネガティブ(問題)はポジティブ(贈り物)に、ユーザー(使用)は人(生活)に、性能の競争(よりよいもの)は価値の競争(意義深さ)に変化する。
詳細はロベルト・ベルガンティ著『突破するデザイン』 日経 BP 社(2017)をご覧いただきたい。
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安西
やっぱり、長期的な利益を考えるような社内土壌になってないところがある。それはそれで仕方がないことだと思うんですよ。ただ、今話していたように、第二象限での問題解決の積み重ねが「インフラ」になって、センスメイキング側の意味のイノベーションの集積が「文化」になるわけですよね。とすると、問題解決の集積を見ながらそのなかで意味のイノベーションに導きやすいものをピックアップしていくことだと思うんですね。もちろんそこから深めていくわけなんだけど、それをいくつかセンスメイキングの方でやっていくことで、結果として「文化」になっていくわけです。ポイントは何かっていうと、この問題解決とセンスメイキングのポートフォリオを常時チェックしているシステムがあるかどうかっていうことになるわけですよ。
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安西
要するに「文化」っていうものは往々にして結果として生まれることが多いわけです。でも結果として生まれるものだとしても、そのプロセスは割と勘づくもの、ですよね。ひとつの意味のイノベーションだけで何らかの文化が、はいこれできましたっていうのは、難しい話ですから。いくつかの意味のイノベーションが集まった時にこういうカタチになる、あるいはなりそうだ、って考えるのが適当だと思うんですよ。マンズィーニは「さまざまなソーシャルイノベーションで波をつくる」という表現をしています。だから、2―1―4 のこの流れのところ、例えば半年に一回見てるとかね。あるいは常時それを常に見てる人、全体が見える人がそこに居るとかね。ひとりの視点にそのすべてを求めるのはかなり厳しいと思うんですよ。
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阿部
複数の視点を、その流動性を保ちつつ大きな流れで見ていく。そして意味のイノベーションの集積が「文化」につながっていく。言い換えればその地域のコミュニケーションの基盤となるコンテクストが集積され、共有されることで地域文化の創造、形成につながっていく。いずれにしても文化創造はそれぞれの象限に閉じこもって出来上がるものではないんだということですね。
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安西
これはマンズィーニ自身、本の中に書いているんだけど、要するに各象限が独立してるわけじゃなくて相互作用があって、つまりデザインはオープンループであるということ。ありえないわけですよね、どこかの象限だけで考えていくっていうことは。そしてベルガンティも言ってるように、意味のイノベーションの一番最初は問題解決から始まるわけですよ。
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安西
抽象的な何らかの言葉を求めてメディテーションしてみたら、っていう形にみんな割と流れがちなんだけど、そうではなくて日常の具体的なところから入って問題解決を見ながら、でもそこで問題解決にとどめるんではなくて、これは意味のイノベーションにおいてどうなのかっていうことを往復しながら考えることが大切、ということですよね。そういう風にやるべきなんだけど、特に日本のなかで、まあこの 5 年間ぐらいかな、見ていて思うのはどうも意味のイノベーションで、意味を考えることはすべてに優先される、みたいに考えている人たちがいて。で、すごく哲学的な思考で右象限だけをやろうとするからみんな挫折するわけですよ。
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阿部
はい。なるほど。
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安西
ポイントはもうひとつあって、ベルガンティの意味のイノベーションのプロセスのなかにある、「私」から始めるっていうところ。そこから「ペア」にいって「ラディカルサークル」いって、それから「解釈者」で。まずその私は私なんだけど、そこからペアにっていうところ、どういうことかって言うと「私たち」なんですよ。で、今までは市場にいるお客さんだとか、ユーザーは川の岸の向こうにいる、向こう側の人たちっていうイメージが決まっていて、企業側が私たちだったわけですよね。そうじゃなくて向こう岸にいる、そのお客さんやユーザーも含めて「私たち」なわけですよ。
問題解決を前提にしたイノベーションプロセスではユーザー視点が軸になる一方、意味のイノベーションのプロセスは一人称の自問から始まる。ここを丁寧に見る必要があるという指摘で、本稿を読み進める上での参考として以下にその概要を抜粋する。
- 1.自分(私): ストレッチ 自身の仮説を、批判精神を持って、深め、広げる
- 2.ペア : スパーリング 信頼できるパートナーとペアを組み、疑問をぶつけ合う
- 3.ラディカルサークル : 衝突と融合 複数のペアが集まり、異なる仮説を比較、融合する
- 4.解釈者 : 問いかけ 共通の関心テーマを持ち、異なる視点を持つ専門家から意見をもらう
- 5.顧客・人々 : 実践 プロトタイプをつくり、実際に使用してもらう
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阿部
なるほど。
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安西
そう。そこがあるから、「Diffuse design」へいけるわけです。今までの旧型ラグジュアリーっていうのは発信者がこういう風なデフィニション(Definition - 意味の定義)をして、ブランドイメージに沿うようにいろいろと発信して。例えば店舗のデザインもそうだし、メッセージの出し方もみんな、こういうルールに沿ってやるんだ、みたいなところがあったじゃないですか。
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安西
そういった形が少し不自然になってきたわけです。受信者とか送信者ということじゃなくて、それも含めて「私たち」であるということですね。つまり「新しいラグジュアリー」においては、誰かが決めたものじゃなくて、その使い手である人たちが、自分たちで解釈して意味を考えることになるわけですよ。あるいは意味を感じたりするわけですよ。だからコンテクストの設計、ここは「私」になるんだけど、どういうふうにすると受け手の人たちがこれがいいと思えるかっていう、その設定をするところまでですよね。
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安西
でもそれは機械の設計のように数値的に設定できるわけじゃなくて。もっと緩い条件の設定です。それぞれに、これは意味深いなと思えるような条件の設定をしていくということですよね。例えばロウソクのような話1 で言うならばロウソクひとつを製品企画の人間が、ロウソクはこれからは情緒性だっていってみんなが情緒性を感じるわけじゃなくて。例えばそのロウソクが蛍光灯のバンバンついてるオフィスの中に置かれていて、そのロウソクが情緒性を持つわけないじゃないですか。やっぱり情緒性を持つのはそれなりのインテリアデザインがあって、それで例えばウェイターたちが割とスムーズに、静かに動いていてね、で、周りのお客さんたちも静かな会話をしているところで、初めてその目の前にある食卓にあるロウソクに何らかのこうロマンティックな感情をもったりするわけですよね。
旧態的マーケティング主導の設計思想からは「見えにくい領域」の存在に関する指摘である。いわゆる旧型のラグジュアリーモデルと〈新しいラグジュアリー〉との相違点が語られている。
1 「意味のイノベーション」の事例モデル。単に「明かりを灯す」用途から、「意味(≒何かを行う理由)」へのイノベーション例。
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安西
そういうことなわけですよ、条件設定っていうのは。でそういうことを一人の肩に背負わせるんじゃなくて、もちろん誰かがそれをポートフォリオ的にチェックするんだけど、そういったことを意識するにはこの「Diffuse design」のところ、要するに専門家のデザインだけじゃなくて、そこはそれぞれのメンバーが意識するってことですよね。
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阿部
いわゆる職務職能としてのデザイナーがガイドしていく部分、コンテクスト、条件の設定は当然ある。一方で「Diffuse design」の領域において流動性のあるコミュニティが何らかの発展的な使いかたや情緒的な要素を見出していく。そういったイメージを今持ちました。
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安西
そこで注意することがひとつあるのと思うのは何かっていうと、利他的っていう言葉が持つあの意味合いですよね。
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阿部
はい、はい。
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安西
みんな今、利他的ってことを盛んにいいますよね。でも「利他」っていうのは自分を除いた人じゃなくて、自分も含めた上での「利他」わけですよ。この辺がやっぱり、利他的っていった時に、エゴの反対としての利他みたいな話になるとどうもなんか、ね。お客さんとして、向こう側に居る位置みたいなそういった話になっちゃうじゃないですか。もう。
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阿部
そうですね。奉仕の形になっちゃう。
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安西
それはやっぱり違うんだろうなと思いますよ。
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阿部
こう、いわば反復からの帰結、集積としての意味のイノベーション、あるいは文化の創造が実現される。その条件設定、コンテクストは自分自身も含めた「私たち」のなかにある。そして境界線をこえた実践的思考の反復を通して、その関係性にも目を向けていく。
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安西
例えばまあ、国の組織でいうと経産省は第二象限のところでやってね、文化庁は第四象限でやってるみたいなね。だけど、そこはやっぱり別モノじゃないっていうことですよね。文化庁は第二象限に入ってこないといけないし、経産省も第四象限に入ってこないといけないですよ。
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阿部
非常によくわかります。
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安西
文化庁がいう文化はやっぱり純粋な芸術だったりとか、あるいはいわゆるユネスコの無形文化財的なところとか、文化がすごく限定されてますよね。で、例えばミラノデザインウィークにあるようなデザイン文化だとか、そういうのがそこには入っていきにくいじゃないですか。でも本当はそっちの方が欲しいわけですよね。創造的なほうが欲しいわけで。で、そういうものも含めたデザイン文化っていうとすぐ経産省側に行っちゃうわけですよ。で、やっぱりうまくいかないわけですよ。
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阿部
なるほど。確かにそうした状況は割と出てきていますよね。「Design mode map」の観点でいえば、例えばフランスが始めた「最も美しい村」のコミュニティっていうものがあって、実際国内で参加している村もあるわけです。で、その一方、無形文化財的な、例えば民族文化だとかそういうものも、もちろん入ってきている。つまり文化庁的に。それはいわゆる「Expert design」側、あるいは創造性を要するデザイン文化、あるいはそのリテラシー的観点から見た場合、果たしてどうなのか。で、冒頭の話に戻るとやはりこうテクノロジーは問題解決を進めていく、そこに突破口があるんだという考え方と、文化や自然環境を地域の資源として見ていく考え方。この間の壁。その間にアナウンスが欲しいんです。