3 新しいラグジュアリー、これからの風景
人の手、創造性、オリジナリティ、そして同時代的人生観、人間の生き方
ここで地方都市、つまりローカル・リージョン的観点からの取り組みに関してお話を伺った。ここまでの、いわばミクロピースを集積しマクロピクチャーとして展開させていく際に見えてくる、あるいは安西氏の言葉を借りれば、ひとつの専門的視点では語りきれず、むしろ専門が持つ閉鎖性から脱したところに自然に広がるのが、新しいラグジュアリーの「風景」である。もちろんここで挙げられた例のほかにも、本書のなかで幾つかのケースが挙げられている。そちらもぜひご参照いただきたい。
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阿部
なるほど理解しました。で、そうした状況を踏まえた上で、例えば首都圏だとか、まあ広い意味でメトロポリスのような都市というのは基本的に情報の流動性スピードが高いゆえに人も集まるし投資も集まる。情報や文化の出入口にもなっていくっていう状況はあるんだと思うんです。そこに相対させるような位置関係で地方都市を見て行くとやはりどうしても寂しく、あるいは貧しく見えてしまう。しかしそうではなくて、たとえばローカルにおける地域資源のようなものを生かして行く方向に、例えばこうイタリアの都市国家のあり方、まあ今はもう使われなくなったのかもしれないですけど、第三のイタリア3みたいな道もあったと思うんですよ。でそういうもの、実現されうるケーススタディーみたいなものっていうのは何かご存知でしょうか。3手工芸的クラスター(産業集積)を指す。ニーズの細分化に対し柔軟に対応できない大量生産方式に対するオルタナイティブモデルであり、クラフトマンシップの復興を提起していた。現在はすでにグローバルバリューチェーンの時代にシフトしたと言ってよいだろう。
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安西
慶応 SFC の安宅さんが中心になってやっている、風の谷プロジェクトって知ってます? 絶景をいろんなところにつくっていくと。絶景の素質のあるところをさらに磨いていく取り組みなんですね。で、WEB に書いてある「風の谷憲章」が面白いんですよ。風の谷はどんなところかって、「良いコミュニティの前に良い場所である -
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安西
で、「ただし」って言葉が続いていて、この「ただし」が面白い。ただし結果的に良いコミュニティが生まれることは歓迎する」。で、「人間が自然と共存する場所である。ただしそのために最新のテクノロジーを使い倒す」。自然が主役で、でも人工物の活用はすると。風の谷はどうやって作るのか。「国家や自治体に働きかけて実現させるものではない。ただし行政の力を利用するのを否定するものではない」これはマンズィーニのいってることに近いよね、これ。で、ここの「既存の村を立て直すのではなく、廃村を利用してゼロからつくる…」ここのところですよね。これは割と、最近よく言われるのはどっちかっていうと、この立て直しの話が多いじゃない。
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阿部
はい。再生プロジェクトの方が多いですよね。
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安西
そこには固執しないっていうことだよね。この辺のポリシーの設定の仕方がすごくスマートだと思ったんですよ。
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阿部
我々は A である。しかし B であることを否定しないっていう考え方はものすごく間口を広げますね。異なる領域の人々とも自由に繋がるオープンな感覚ですね。
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安西
僕は知らないけど、日本でいろいろ旅行してみて、美しいとふと思うところはあるけど、絶景、息をのむようなところはやっぱり少ないのかなと思うんですよ。で、それを息を飲むような景色にするのは、やっぱり人の手が入ったほうがいいということです。
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阿部
100%の自然がまあ素晴らしいと、最高なんだ崇高なんだと考える必要は無くて、そこでどのような風景を作っていくのかということを念頭に置きながら、やはりきちんとした地域マネジメントなりを組み立てていく必要がある、ということですよね。どうしてもこう、国内の地方都市っていうのは痩せていくんだと。痩せていくっていうのはもちろん風景だけではなくてさまざまな観点からも痩せつつあって。
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阿部
で、今回出版された本のなかで触れておられたような、新しいラグジュアリーのあり方みたいなものをどう理解していただくのかっていうことを考えていかなきゃいけないなあと思っているわけです。で、安西さんがおっしゃるような、今さまざまな新しいラグジュアリーの提案が世界各地でなされ、生み出されつつある。したがって世界に仲間を見つけていく絶好の機会でもあるというお話があって、その通りだと思いますし、そこに関しては我々のような事業者がお役に立てると思います。そうしたこう動きを生み出し、また繋げていくために、例えば注目されておられるようなムーブメントはありますか。
「新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10 の講義」の想定読者が語られる。人生観、あるいは人間の生き方をともなう提案であることに留意したい。語られた問題意識は極めて重要であり、いかにこの課題を共有できるかが今後のローカル・リージョンにおける「文化創造」の推進にあたってポイントになるものと思われる。
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安西
それこそ「新・ラグジュアリー」に書いた、ああいう話だよね。本のなかにも書いたけれど、30 歳前後の女性をひとつ想定読者としておいたわけですよ。色々理由があって、まずあの話題に関して、アメリカであれヨーロッパであれ、動いているのはまあ 30 代がけっこう多いよね、女性が。まあ先生だったり、いろいろで。で、実際に自分で行動を起こしているのが 30 歳前後の女性だったりとか。もともと女性ファッション好きだしね。
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阿部
そうですよね。
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安西
で、ファッションは非常に、なんて言うかな、出発地点として手がけやすいところだから。車なんか作るよりもね。そういうところがあるっていうのと、もうひとつ、30 歳前後っていうのは僕自身もそうだったんだけど、人生を「量」で生きるか「質」で生きるか。スケール、スケールアウトを重視するか、クオリティーを重視するかっていうことで。僕自身は新しいコンセプト生むってことが一番ワクワクすることだったから。で、そういうところがヨーロッパにあるっていうことがわかったんで、ヨーロッパに行って生活することになった。その辺りの年齢っていうのは転職も含めて非常に転機ですよね。もちろん今の 40 代の転職もたくさんあるんだけど、30 歳前後の転職ってやっぱり新卒で就職するときと、ずいぶん違いますよね。
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安西
自分の方向が出ますよね。新卒のときの就職っていうのは、なんて言うかな、この業界が良いっていう憧れだったりとか、誰かが言うからとか、割と内部の事情を知らないで、イメージで決めていることが多いじゃない。でも数年仕事をしてキャリアを積むと、自分の人生はやっぱりこういう方向で行きたいなあっていうことが分かってくる。そういうタイミングは 30 代ぐらいですよね。で、なぜ女性かっていうと、例えばリケジョとかいう言い方があるけど、まあ大学の先生もそうだし、あるいはエンジニアもそうだね、女性が足りないから女性をどんどん増やせっていう話になって、そこは必要な方策出して増やすべきだと思うんだけども、多くの場合、何らかの理由で既に人文系を勉強して生きてきた 30 代の人たちがなんとなく後ろめたい気持ちになってる。例えばソフトウェア方向の会社行ったら、もちろんデータ分析の方法なんかは勉強するんだろうけど、多くはすでに誰かが基礎作ってくれていて。その分析からどういう結論を出すかっていうところ、求められているのも実は女性が向いてるわけなんだけど、そういったことはあんまり気づいてなかったりするし。で、自分で海外で MBA とってステップアップしようなんていうと、結局外資系の投資会社だとか、戦略コンサルタントにしかいけない。「しかいけない」って本人たちが言ってるんだよね。もちろんそれはいいんだけれど、でも一生戦略コンサルタントじゃないっていう感じはするじゃない。
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阿部
そうですね。
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安西
うん。でも受け入れてくれるところが少なくて。語学もできて、異文化に対する素養もあってね。この人たちが生きる場所が今、なかなか少ないんですよ。人文系のことを勉強しても社会的には、なんて言うかな、必要ないって思われているところがあって。特に今のテクノロジー優先のキャリアの世界ではね。で、そうじゃないんだっていうことを示そうとしている、そのあたりに 30 代前後の人たちって多いなあっていう感じがしていて。で、まあ想定読者をそこに設定したんだけど、実際いま、コンタクトが来てるのはまさしくその辺の人たちなんですよ。例えばこれからヨーロッパで新しいラグジュアリーの業界でやって行きたい、でも同級生たちはみんな戦略コンサルタントに行っちゃって相談する人がいないから、相談に乗ってくれとかね。あとデザインとかあるいはラグジュアリーマネジメントを勉強している女性なんかはやっぱり自分たちの同世代の女性達が就職するところがないと言って非常に問題視してるわけですよ。今話したように MBA 持ってる、英語が喋れる、でも自分たちの能力を戦略コンサルタントに使うのは本当にふさわしいのかどうかって疑問を持ってる人たち。で、こういう人たちがこの新しいラグジュアリーのなかで文化を作っていくっていうようなことがわかると、もっとみんないきいきできるわけですよね。
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阿部
なるほど。
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安西
まさしくそういう人たちから今、何人からかコンタクトもらっていて、やっと届き始めたなと思ったんですよ。北海道のこういう話もやっぱりそういう人たちがこう、なんて言うか元気になれるようなプロジェクトを提示すればバンバンとついてくると思うんですよね。で、そういう世代の女性がバンバンと活躍している姿って、みんな地元の人たちは喜ぶでしょう。
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阿部
何らかの新しい風景を望む。そうした意思のある方が収まるべき場所に地方都市が入ってくるっていうのは、好ましい光景ですよね。やはり大切になってくるのは異なる文化に対する理解力ですね。そこに関心を持ちえないのは、いわば我々には外部からの提案を受け止める能力はないと言ってるにほぼ等しい時代になってきています。まあ今のお話で、例えばこう 30 代女性のキャリアを受け止めるような提案をつくっていくためにも、異なる世界、異なる文化のあり方には関心を向けていく、そうしたものが最終的にはローカルにおける新しい風景を作っていく手段になるという印象を持ちました。
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安西
そう。だから僕もやっていたオンラインのラグジュアリー講座で、当初考えた一番理想的なかたちは何かって言うと、スタートアップなり中小企業で実際にやってる人と、この 30 歳前後の女性で、例えばコミュニケーション能力がある人とがコンビになるような、その土壌を作るということですよね。例えばさ、アートの世界をみるとすごくはっきりしてるんだけど、アーティストっていうのはまあ、どちらかというと、それこそ身なりなんかあんまり考えないで、とにかく作品没頭している人たちだったりするじゃない。
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阿部
まあ、孤高の存在だったりしますよね。
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安西
うん。アートギャラリーとかあるいは美術館のキュレーターの女性って、圧倒的に違うタイプなんだよね。海外の大学院でアートヒストリーなんかを勉強していて、で、それなりに何ていうかオシャレだったり、英語しゃべってみたいなタイプ。で、彼女達が少なくとも美術館のキュレーターに入れたら、まだましなんですよ。アートギャラリーに行くと結局社長の秘書的な仕事になっていて、それこそなんて言うか、まあキャリアに相応しい扱いされなかったりするわけですよ。で、そこのキュレーター的な立場に行くとその先は似たようなところもあったりして、だんだんと先が無くなって。で、その時にどっかの美術館のポジションが募集かかっていれば救われるんだけど、そうじゃないとだんだんと、そのまま息も絶え絶えに消えていくみたいなね。もちろん自分で独立してギャラリーやるって手もあるけど、まあなかなか難しい。で、僕はこういうタイプの女性たちが多くいるのを見て来たから、この人たちが新しいラグジュアリーで、それこそ何らかのクラフト、あるいはクラフト的な表現をする人たちの、海外進出をサポートするといいだろうなと思っているところなんですよ。
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安西
日本の社会のなかで、労働市場が非常にブロックされてるっていう話があるよね。で、なおかつ転職市場が非常に数値的なもので。じゃあ MBA を出りゃいいかっていう話じゃあない。MBA 的な人はさっき言ったように外資系の銀行だったりとか、すごく決まった領域に対する道しかなくて。でも MBA は別に外資系の銀行のためだけにあるわけじゃなくて、いろんな分野のためにマネジメントを勉強するわけじゃないですか。
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阿部
そうですね。
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安西
なんとなく MBA は銀行や戦略コンサルの就職にふさわしいとか、こういう話から脱するような道を作っていくことがポイントですよね。で、それは決して難しい話じゃなくて、今言ったようにアートギャラリーだとか、いろんなところにあるわけですよ。
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阿部
まあ、最近私の周囲でもそういう話を聞いてて。ふと思ったのはやっぱり文化芸術でも、いわゆる古典的な領域ですよね。相当に党派性や派閥の力が強くて、そちら側の理屈が優先で、自分たちの居場所はないわけです。要はそこに向き合っていくという決断をした人たちの居場所は相当に限られる。だからまあ、MBA、外資系とかっていうことだけでもなく、そうした能力と方向性をもった人たちの場所っていうものがなくなってるっていうのは、その通りで。
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安西
例えば 30 年前に海外に住んでる日本人っていうのは 60 万人ぐらいでしょう。今は 130 万人ぐらい。で、その多くは女性が外国人と結婚してるわけ。まあ、音楽家なんかもそうなんだけど、自分のオリジナルの職業がキープできてる人はほとんどいない。で、旦那さんと主婦やりながら何かの仕事してたりするわけだよね。で、やっぱりこう見ていて、男性が会社を辞めて海外で生活したいって言い始めて、まあいろいろな人いるんだけど、結局諦めて日本に戻ってとか、そういうことは割とある。でも女性の場合、海外でやって行くんだっていうと、ああそれいいんじゃないのって思える。理由は何かっていうと、だいたいこっちで結婚して生活できているんだよね。そうするとその結婚が、まあ happy かどうかは別問題としながらも、とりあえずサバイバルできている。これを肯定的にみたいです。
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阿部
まあ、男性女性を比較すると女性の方が環境適応能力が高いっていうことはいえるのかなっていう気はしますよね。で、今はやっぱり、なんて言うのかな、異なる環境に自分を合わせていくっていう能力が備わっている、そういった人たちが実際にいるにもかかわらず、なぜか居場所が見つけられない。高い能力を持った人たちが実際にいる、そうした人たちをどう受け止めて、支えていくのかということをこれからの社会は考えていかなきゃいけないですね。
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安西
そうそう。だから今さ、女性がこっちの人と結婚して、その次に出てきている現象は何かっていうと、やっぱり親は娘と一緒にいたかったりするじゃない。そうすると 80 歳過ぎて日本からこっちに来て娘と一緒に生活してる、みたいなパターンが見られるんだよね。で、もちろんイタリア語も勉強したことなくて喋れない。でもこっちに来てそのイタリア人家族の中に入って、で、こっちで一生を終えるんだろうね。そういうパターンがいろいろこう、何人かいてさ。で、それはそれですごく、ある究極の国際交流のあり方だなと思って。で、もうひとつは、この 30 歳前後の転職市場だよね。
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阿部
少し前にコモのあたりで 80 代ぐらいのイタリア人女性が孤独死してて、3 ヶ月ぐらい誰にも気づかれなかったという報道がありましたね。
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安西
ああ、うんうん。
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阿部
こう、「地域のコミュニティ」に関しては、やはり変化はある。しかし彼らの「家族的なコミュニティ」のあり方は第三、第四象限の「Diffuse design」のなかでは一つの生き方、人生観として見えてくるし、いま我々が問われているものであると思うんですよ。そこに今の日本の社会が考えていくことへのヒントがあるような気がします。
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安西
人生観なんて話するとさ、やっぱり哲学ですよねとか、やっぱり宗教ですよねとかさ、そっちすぐいっちゃうんですよ。(笑)だから僕もさっきから何回も言っているように、そのあたりを知るのは重要なんだけど、西洋哲学の何が要するにすごく良くて、どこがまあそんな大したことないのかとかさ、そういったことを知った上で、やっぱり哲学だろう、やっぱり宗教を知ってたほうがいいねっていう話なんですよね。その辺の話が分かってもらえないと説教臭くて枯れた話になっちゃうから。