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なぜ、「人文学」は必要とされるのか

  • 阿部

    ダンディズム、あるいは紳士服飾の歴史においても、ブランメルは頭一つ抜き出ている存在、歴史における転換点を作ってしまった。

  • 中野

    自分に合わせてコンテクストを作ったっていうところがポイントですよね。ココ・シャネルも結局そうで。孤児として育った自分は、どうあがいても旧世界の価値観の中では上にいけない。ラグジュアリーにはなり得ないなかで、結局、自分のオリジンに立った趣味嗜好に合わせ、価値を転換するようなロジックとコンテクストを作り、そのなかでトップに立った。結果として新しい文化が生まれ、時代を変えていくという、そういう人ですよね。20世紀のはじめに、コンテクストを創ることで新型ラグジュアリーを創った人。ブランメルにせよシャネルにせよ、新型ラグジュアリーが生まれる先端には常にそういう内発的な創造力を発揮した強い個性の方がいるっていうことは、やはり人文学がラグジュアリーに必要だという所以ですよね。

  • 阿部

    で、そこなんです。たとえば地域の問題解決を目的に人を集めて話し合う。これはまったく正しいんです。ただその結果として生み出されるアルゴリズムは往々にして「合理的」なものになります。しかしそうして出来上がったものを外に出してみると、どうも期待した結果にはならない。思うようには人も動かない。

  • 阿部

    本書中で中野さんは、〈ラグジュアリー〉とは非合理的である、その非合理性が人を動かし、走らせてきたと指摘されています。なぜ非合理性が人の心を揺さぶり、動かすのか。先ほどの自分が輝ける、そのコンテクストを創造するイマジネーションを鍛えるというお話も含め、その「人文学」的観点。そのあたりを少し。

  • 中野

    人間はそもそも100%自身のことを理解してコントロールするということが不可能だからじゃないですか? 物理的存在としても、社会的存在としても、精神的存在としても、実は全くわかっていないことが多すぎる。100歩譲って、自分はこんな人間だからこんな人生を送る計画を立てる、ということがあったとしても、自然災害や疫病や戦争といった外部の要因や、病気やケガや家族のトラブルといったことや、あるいは自身でもよくわからない内面の覚醒や気まぐれや感情の奔流みたいなことが起きて、否応なく進路を左右されてしまう。

  • 中野

    人間が生きていくということそのものが不条理にまみれることなのではないでしょうか。だから不条理との折り合いのつけ方を考えてきた哲学や、不条理の発露の道筋そのものを記す歴史学や、不条理そのものを追究する文学が、人間の行動の根本を考えるうえで非常に「役に立つ」ことになります。到底、太刀打ちできそうもない大きな障壁、不条理なほどの大きな力に対峙して恐怖を覚えながら、それを乗り越え、克服したときに「崇高」という感情が生まれる。それがラグジュアリーにとって不可欠な感情であることは、本にも記しました。その障壁の見極め方、克服のプロセスを知るヒントに満ちているのですよ、人文学は。

普遍的人間性への考察は〈人文学〉を通した思惟のなかにこそ豊かに存在している。行きすぎた経済合理性の追求、利益至上の考え方が毀損したものは社会環境、つまり「人間の尊厳」をも含む。人間への尊厳が十分に配慮される社会の実現が求められている現在において、中野氏が指摘するようにビジネス領域では「使えない」とされ、不遇の扱いを受けてきた〈人文学〉が価値創造の中心となり生み出される社会、あるいは経済のかたちが〈新しいラグジュアリー〉の世界そのものである。

  • 阿部

    極めて重要なご指摘だと思います。経済効率や合理性、あるいは数理的理解と解釈に満たされていく今の社会のなかで、ラグジュアリーが果たす役割でしょうか。

  • 阿部

    一方、価値を転換する、創造的なロジックやコンテクストの形成に関していえば、例えばカルティエで、飛行機の操縦桿を握ったまま見える時計が必要だという、そういう個人的なオーダー、言い換えればパーソナルなコンテクストから腕時計という、まったく新しい世界が創造され、展開していったというストーリーも重なってくるのかもしれませんね。で、今の肥大化した旧型のラグジュアリービジネスのなかでは、どちらかというとビッグデータの分析だとか、あるいはマーケティングのデータから、例えばそのブランドのセカンドラインに展開していくっていう方向に流れていく。

  • 中野

    そうですね。戦略的に作られ、売られているのでやはりトレンドになってしまいますね。そこにはカルチャーも生まれ得ないので、永続性は期待できないだろうなっていう、その感じが最初から見えますよね。マーケティングによってセカンドラインとして出されたものには。

  • 阿部

    年間の予算を満たしてくれればそれ以上は望まない。

  • 中野

    作っている方も来年また新しいものを出さなきゃいけないので。今年一年の命という前提のもとに作られているのではないでしょうか。なので、本来の意味でラグジュアリーではなくなっている。

本稿はビックデータ分析やマーケティング的手法を否定するものではない。しかしその一方で、数理的アプローチやアルゴリズムにより最適化されていく戦略的な「世界観」に対し、〈もうひとつのあり方〉の存在を提起するものである。

  • 石井

    権威的なラグジュアリー発トレンドの提案は時代を盛り上げるアウトプットを作る方法、そして生活者は間違いなく旬を感じることができますが、トレンドに対して受け身の姿勢でいては、先ほど中野先生のお話に出てきたような作り手の方々とは出会えない。私たちは中野先生のお話を聞いたり、新しい目で地方をリサーチすることで粛々と活動している方々に触れて、より深い刺激を受けることができます。結局、人で繋がっているのだなと思います。作り手の魅力が、その人をよく知る人を介して伝わっていくことで、愛着が高まりより素晴らしさが見えてくるところがいいですね。作り手ご本人が自己顕示的なことに執着していないからこそ、生き生きとされて、周りの意見にも惑わされないんじゃないかなと感じます。自分を信じてるんですね。

  • 中野

    そうですね。自分を信じてやっぱり人を信じるという。私もマスメディアでその人たちの名前を知ったわけではなく、それこそ人を介して、なんですよね。村瀬さんを紹介してくださったのはユナイテッドアローズの栗野さんですし、ニセコの片山町長とか、雪国観光圏の井口さんとかは、MATCHAっていう旅行サイトを主催している青木優さんという方が紹介してくれたのですが、彼は私が明治大学で務めていた学部の一期生なんです。ニセコの地方創生に関しては誰に話を聞いたらいいって彼に聞いたら、「日本一素晴らしい町長がいます!」と繋いでくれたんですね。当日、片山町長がコロナになってしまって副町長に話を聞くことにはなったのですが。まあそんなふうに、一回会った人がこの人を誰かに推薦したいと思わざるを得ないような本物の熱意みたいなものが多分、そういう人たちにはあるんですよね。

  • 阿部

    今までの広告的な手法で演出されるモーメントのようなもの、あるいは一昔前のキャッチコピーのような世界観から、人間そのものに自然と目が向いていくというタイミングなのかもしれないですね。

  • 中野

    もうみんなマーケティングの言葉を信じてないし、誰もフェイスブックの私語りを信じてないし、というところありますね。自賛し、称賛を周囲に求める人に本物はいないっていう、それはもう皆さんもわかっている。逆に周りから自然な形で語られている人は気になります。

  • 阿部

    地方地域でビジネスの活性化とか、あるいは地方創生っていうと首都圏とか、そういうところからマーケティングの方が来て。で、そういう方向に流れていく。しかしその一方では、そうではないもうひとつのあり方が期待されている。そうした機運は間違いなくあると思うんです。

  • 中野

    ああ、ありますね、東京からマーケティングやブランディングのプロが来て、東京のやり方でやろうとするのが一番、反発を食らうって聞きます。

  • 阿部

    なんとなくわかる気がしますね。(笑)

  • 中野

    僕たちの力で何とか創生してやるみたいなのが嫌だっていう。

  • 阿部

    まあ、彼らも仕事なんでしょうけれどね。ただ、そのように考える地方都市の、そうした現状のなかに中野さんと安西さんが執筆された〈新・ラグジュアリー〉の提案は非常にスムーズに入ってくるはずです。地方都市、ローカルが自分自身の手で文化を創っていく。その源泉において新しい価値の創造が行われ、そして将来にわたる豊かさ、あるいは求心力を伴うビジネスの創造なりに繋がっていくということが具体的に語られたケースって、少なくとも今までにはなかったと思うんですよ。

  • 阿部

    薄々は気付き始めてるわけですよね。このままではマズいと。でも実際どうするのという話になったときに、誰も何も答えることができない。そこに今回の出版があったわけです。やっぱりなるべく多くの人々に読んでいただくことを考えていますし、今回のインタビューを企画したのもそこです。で、地方に関わる方々がこの本を読んで、何を考えるかっていうことに僕もすごく関心がありますし、楽しみですよね。本当に。

  • 阿部

    内閣府の方々がチェックされて、中野さんに直接コンタクトを取ってきたというのは、僕はものすごくよく理解できるんです。個人的に今までも事業設計のうえで、内閣府の資料はかなり参考にしてきましたし。私自身、国内の地方創生事業と今回の新しいラグジュアリーは同一線上にある、という強い確信があります。

  • 中野

    内閣府の方々もこの発想は無かった、って仰ってました。(笑) ぼんやりと感じていたことが本のなかで言語化され、輪郭を与えられた感覚をもたれたようです。

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